折口 信夫。 国立国会図書館デジタルコレクション

折口信夫・春洋父子 ゆかりの地/羽咋市公式ホームページ

こんなところに綴るのは横着ですが、何人もの方々からお見舞いのメッセージや祈祷のお札をいただき、ありがとうございました。

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まれびと

1948:• 1968:• 此事こそは、世界共通の長寿の国の考へに基いて居るのである。

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まれびと

(新字旧仮名、作品ID:47814)• 常世の 中路 ( ナカミチ )は、時間勘定のうちには這入つて居ない。 その理由は経済的、的なものが含まれるが、この風習の根底に異人を異界からの神とする「 まれびと信仰」が存在するといわれる。

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折口信夫という「謎」

創作の面も多岐にわたっているが、生涯の情熱を注いだのは短歌で、民俗学者として旅中に得た感動を、沈潜したしらべにのせて歌った。 2019:• 日本文学の発生序説• 1964: ・• 1985:• それが本だ。

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折口信夫という「謎」

開化の光りは、わたつみの胸を、一挙にあさましい干潟とした。

折口信夫という「謎」

最終的に軽井沢で療養。 ・加藤守雄『迢空・折口信夫研究』 、1973年 対話集• 1955:• 1980:• 2018:• | | | 作者:壺齋散人(引地博信) All Rights Reserved C 2015-2018 このサイトは、作者のブログ「壺齋閑話」の一部を編集したものである. 「まれびと」とは客のことである、というのが冒頭の文章の意味するところであるが、そのことで折口は何を言いたかったか。

国立国会図書館デジタルコレクション

研究 [ ] 雑誌『民俗学』に故郷能登の民俗について書いた「くどきぶし」(3号)、「気多通信(一)」(4号)、「気多通信(二)」(5号)などがある。 卒業して大阪の今宮中学の教員となったが、2年余で辞して上京、国文学の研究と短歌の創作に情熱を注ぐ。 折口はこの小論を「まれびと」についての考察にささげていると明言しているとおり、「まれびと」こそがこの小論で提示されるべき概念なのだが、その概念についての自身の問題意識を、こういう形で表したわけである。

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143夜『死者の書』折口信夫

論文にとどまらず、ラジオにも出演していたらしい。 芭蕉が墓を近江にしたかった理由も納得できた。 1919年(大正8)国学院大学講師となり、のち教授として終生国学院の教職にあった。

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まれびと

其 出石 ( イヅシ )人の一人で国の名を負うた たぢまもりの、時じくの 香 ( カグ )の 木実 ( コノミ )を取り来よとの仰せで渡つたのは、橘実る 妣 ( ハヽ )が国なる南の支那であつた。

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